社会福祉法人大洋会(岩手県陸前高田市)

震災からの復興を願い、新たな事業展開を模索する「青松館」

大洋会の概要

大洋会は、青松館/分場せせらぎ(就労移行支援事業・就労継続支援B型事業)、朋友館(就労移行支援事業・就労継続支援B型事業)、慈愛福祉学園(就労継続支援B型事業)、星雲工房(就労継続支援B型事業)等の障がい者就労支援施設を運営する社会福祉法人である。

この他にも、大洋学園(児童養護施設)、大洋(児童家庭センター)、慈愛福祉学園デイサービスセンター(生活介護事業)、地域活動支援センター星雲、気仙障がい者就業・生活支援センター、児童家庭センター大洋サテライトなど、多くの福祉事業に関わり、地域の障がい児・者の生活を支えている。

「青松館」は、東日本大震災で甚大な被害に遭った陸前高田の小高い丘の上に建っている。クリーニング事業と印刷事業(大判プリンターによる看板制作等)が主力事業であり、とくにクリーニングだけで全事業所売上の約半分を占める。震災後も引き続き約39,000円の月額平均工賃を維持している要因は、クリーニング事業によるところが大きい。

  • 大洋会 青松館 ファッサード
  • リネンサプライ事業

クリーニングを中心とした青松館の各種事業

青松館のクリーニングは、高齢者施設のリネンクリーニングとホテル・旅館の浴衣や部屋着が中心だ。リネンサプライ事業者と事業提供し、定期的に大量の洗濯物が施設へと運ばれてくることになっている。

最近増えているのが、高齢者施設の入所者たちの私物クリーニングである。この仕事は利用者との直接契約ができるため、単価が高く、高収益が期待できる。その反面、管理作業がじつに煩雑である。200名を超える顧客の下着・靴下・シャツなどを一挙に洗濯し、個々のネットに振り分けて納品しなければならない。靴下の片方が見つからないといったトラブルは日常茶飯事だ。館長の米田智さん(53歳)は、今後の課題について次のように語る。

「洗濯物にすべてバーコードを縫い込んで、管理を大幅に省力化するシステムを、現在開発中です。高齢者施設の私物クリーニングをいかに取り込んでいくかは、洗濯業界共通のテーマ。いろんな方法があるようですが、当施設にもっと適したシステムを考えています。上手く軌道に乗ると、さらなる売上アップが期待できますね」

この他、大型インクジェットプリンターを導入した看板印刷やTシャツプリント、清掃事業(高齢者施設への派遣)も青松館の中心事業。看板印刷の代表的な仕事は、大船渡市の市民憲章を示した看板だという。市内すべての学校や公民館などに設置してある看板を、青松館で制作した。

「もともとの原版が手書きで描かれた看板だったので、背景色や花のイラストなどの微妙な風合いを再現するのにとても苦労しました。三陸の美しい自然を守っていこうという地域住民の思いが、市民憲章には込められているのですよ」と、施設長補佐の熊谷努さん(48裁)

平成20年からオープンした青松館分場せせらぎでは、軍手製造にも取り組んでいる。障がいがより重度、複雑化する人たちの職場づくりをめざしているため、最近は耕作放棄地を活用した農作業にも力を入れ始めた。今年の夏に収穫したトウモロコシなどは、収穫した約7,000本をすべて自分たち独自の販売ルートで売り切ったという。

  • 200名を超える顧客の下着・靴下・シャツなどを一挙に洗濯し、個々のネットに振り分けて納品
  • 型インクジェットプリンターを導入した看板印刷やTシャツプリント

震災で街が丸ごと消えてしまった陸前高田

青松館のある陸前高田市というのは、東日本大震災の被害がもっとも大きかった地域の一つだ。推定約20メートルもの巨大津波が、平地が続く陸前高田の街並みをあっという間に飲み込んでいった。全長2キロ、70,000本もの美しい松林が続いていた高田松原は、すべてなぎ倒された。たった1本だけ残った松の木が「奇跡の一本松」と呼ばれ、震災の象徴として保存されているのは有名である。

「奇跡の一本松」東日本大震災 2011-03-11

震災当時の様子を、米田施設長は次のように思い出す。

「施設は丘の上にあるのですが、驚くことに津波はここまで迫ってきました。駐車場に停めてあった車が全滅するくらいの勢いです。施設の中にも30cmくらい水が流れ込んできましたね。職員たちは利用者を連れて、さらに高いところにある高齢者施設に避難していきました。本来は、青松館が地域の避難所に指定されていたのです。まさかここから避難しなければいけない状況なんて、誰も想像もしなかったはずです」

幸い、青松館内の事業機材(クリーニング・印刷)にはほとんど被害がなかった。震災後はしばらく停電、断水、ガソリン不足が続いたため、事業再開にはしばらく時間がかかると思われた。しかしそんな絶望的な状況の中、青松館では1ヶ月ほどでクリーニング事業を再開させている。

「職員も利用者も、ほとんどが被災者。自宅を流されたり、知り合いの方が亡くなったりしています。そんな状況の中、事業を再開させたのはお客様からの要望が強かったからですね。高齢者施設や病院等に避難している方々の衣類や毛布を洗ってほしいと頼まれました。しかし断水がなかなか解消しなかったので、洗濯しようにも肝心の水がありません。当時のスタッフたちは、5トンタンクを手配してわざわざ遠くから水を運んできたそうですよ」と、米田さん。

  • 左から米田智さん、熊谷努さん、青松館のスタッフさん達
  • 東日本大震災「奇跡の一本松」

震災でなくなったBDF事業に代わる椿油製造

震災後もクリーニングへの要望は増えていったものの、もちろん街がまるごと津波にのまれてしまった影響は限りなく大きかった。取引をしていたホテルや旅館はすべて廃業したため、委託されていた浴衣類の洗濯類は激減した。市内の料理店やコンビニなどから廃油を集め、精製していたBDF(バイオディーゼル燃料)に至っては、事業そのものから徹底せざるを得なくなった。その代わりとして、新たに始めたのが椿油の製造事業である。

米田さんはこの事業のねらいについて、次のように説明する。

「陸前高田では、椿油が昔から食用や髪結い用に使われてきました。1社だけ残っていた製造工場が津波で流されてしまったため、私たちが代わりに椿油の製造を始めることにしたのです。種から油を圧搾・抽出する機材や作業倉庫など、すべて国の事業復興型雇用創出助成金を活用することができました」

椿油自体はそれほど量産できるものではないし、ニーズも限られたものだという。しかし、津波ですべてが失われてしまった陸前高田の大切な地域文化の一つである。次の世代に残していくためにも、社会貢献の一環としてこの事業を続けていきたい。青松館のスタッフたちは、そう考えている。

「このままだと復興工事が終わった頃には、陸前高田の街には住人が誰もいなくなってしまうかもしれない。そんな危機感があります。私たちにできることは限られていますが、少しでも街が元気になるような取り組みを進めていきたいですね」と、米田さん。

東日本大震災から、約5年半。さまざまな課題に直面しながらも、震災からの復興を願い、青松館では地域の障がい者たちの生活を守るためにさまざまな事業展開を進めている。

  • 椿油の製造事業 写真は「気仙の椿油」商品
  • 館長の米田智さん

(写真・文/戸原一男)

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。