社会福祉法人皆の郷(埼玉県川越市)

利用者ニーズを徹底的に集約して、事業を拡大し続ける「川越いもの子作業所」社会福祉法人皆の郷

皆の郷の概要

皆の郷は、「第1川越いもの子作業所」(生活介護・就労継続B型)、「第2川越いもの子作業所」(生活介護・就労継続B型・重度心身障害児者通園事業)、「第3川越いもの子作業所」(生活介護・就労継続B型)の3施設を中心にして事業をおこなう社会福祉法人である。この他「第2川越いもの子作業所」の出張所として「川越いもの子製麺」、「福祉の店アトレ」、ケアホーム四棟、入所支援施設(入所支援・短期入所・生活介護・就労移行・自立訓練)まで運営する。

具体的な作業品目は、「第1川越いもの子作業所」が木工作業やアルミ缶プレス、清掃事業など。「第2川越いもの子作業所」では、煎餅とうどん製造。「第3川越いもの子作業所」では、紙すきを中心とする。「働く支え」「暮らしの支え」「生活の支え」の三本の柱を中心に、幅広く地域の障害者ニーズに応えることをモットーとしてきた。

最たる例として2008年7月に開所した多機能型障害者支援施設「川越いもの子作業所」が挙げられる。これは「第1川越いもの子作業所」に隣接する形で建設された新しいスタイルの入所支援施設だ。9人の部屋が1ユニットとして設計され、それぞれ玄関、台所、風呂、リビング、ダイニングが別々に付いている。もちろん入所者の部屋は個室だ。このユニットが廊下を通じて6セット用意されていて、いわばグループホームの集合体というイメージである。入所支援施設にしてはあまりにオープンな雰囲気のこの施設は、保護者と利用者たちの要望を徹底的に集約して建設されたものだ。

「利用者やその家族の要望を入れて設計していったら、こんなスタイルの施設になりました。考え方としてはグループホームの延長なので、入所者は自由を満喫できていると思います。グループホームよりも職員を多く配置できるので、施設としても管理面では楽ですね」と、大畠宗宏施設長(50歳)。この施設で暮らす利用者たちは全員、皆の郷が運営する施設のいずれかに毎日通勤し、自立生活を営んでいるのである。

地元経済界と「支える会」の積極的な支援を背景に急成長

法人の活動で際立っているのが、「いもの子後援会」と名付けられた強力なバックアップ体制だ。後援会には川越地区の代表的なガス会社である武州ガス(株)の会長や創業250年の老舗和菓子店・亀屋八代目店主など、地元経済界の重鎮たちがそろって名を連ね、各施設の製品販売等に全面的に力を貸している。現在は「第2川越いもの子作業所」で製造された煎餅を地元の大手デパート・丸広や「蔵の街・小江戸」として賑わう川越市内の土産物店などで販売しているのだが、これらはほとんどが後援会役員たちの紹介によって実現した。

「川越いもの子作業所を支える会(以下、「支える会」)」という組織の存在も大きい。この施設はもともと障害児を持つ親たちや学校の先生等の強い要望が集まって設立された無認可小規模作業所であり、法人化に当たっては「支える会」が中心となってチャリティバザーやコンサート、「3千円1万人運動」と題する募金運動を積極的に行った経緯がある。こうした運動は施設を作るたびに繰り返し実施され、多機能型障害者支援施設「川越いもの子作業所」(冒頭に記した入所施設)の設立時には、「3千円2万人運動」にバージョンアップして建設資金を集めたのだという。

「支える会」の活躍は、これだけにとどまらない。彼らは「川越いもの子作業所」で作られた製品群を担いで、地域の幼稚園、保育園、小学校、中学校、高等学校、養護学校等に交代で出向き、出張販売を定期的に実施しているのである。特別支援学級がある地元の富士見中学校では、23年にわたって「川越いもの子チャリティバザー」と題するイベントが毎年11月に開催されており、「支える会」のメンバーたちも焼きそばや団子・ラーメンなどの屋台出店、バザー開催、フラダンス披露と大活躍だ。こんな活動からも、「川越いもの子作業所」という組織が障害を持つ家族や関係者たちの強い要望によって成り立っている施設であることが強く感じられる。

関係者もビックリ、地元でどんどん成長する煎餅事業

外部の応援組織が強固であることは力強い限りだが、施設としては自ら積極的に事業を展開していかなければならないのは当然である。とくに法人の中でもっとも就労を意識した事業をおこなう「第2川越いもの子作業所」では、より高い工賃を利用者に支払うための施策として無認可作業所時代からの発想の転換が求められていた。そこで5年ほど前から本格的な事業改革に取り組み、自主製品である煎餅事業を伸ばすための施策を打ってきたのである。2004年から施設長に就任した金澤昌敏氏(62歳)は、こう語っている。

「最初に取り組んだのは、仕事の選別でした。作業所時代は仕事をもらえるだけでうれしかったものですから、利益がほとんど出ない各種下請け作業が日常の中に混在していたんですね。それが結果的に煎餅事業の成長を妨げていた感は否めません」

組織改革のプランは明確だ。煎餅事業に特化し、その仕事を組織で一丸となって拡大するアイデアを全員で考えていったのである。当時の煎餅製造は、ロスが多く、味にばらつきがあるという欠点を抱えていた。そこで職員を専門的な研修会に出し、その日の湿度や温度によって煎餅を焼く時間を微妙に変えるという高度な技術を習得させた。施設内での仕事のあり方についても徹底的に改革をした。「第2川越いもの子作業所」は仕事をするための施設だから、組織名称も会社的にした方がいい。製造部・包装部・営業宣伝部などという部署名に変えたのも、こうした改革の一環だ。現在、煎餅事業の営業宣伝部を仕切っている副主任の田中涼子さんは、その頃参加してきた女性スタッフである。

「大学の福祉科を卒業して、皆の郷に就職しました。学生時代は作業所にボランティアで参加することも多かったので、初めはそのギャップに驚きましたね。ここでの毎日は、まるで煎餅屋さんに就職したかのような仕事ばかりですから(笑)。でも仕事をしていく中で、仲間たちがどんどん成長していくのがわかります。みんなの目が真剣になっていくのです。こういう姿を見ていると、私たちももっと頑張らなくちゃいけないと思いますね」

かくして施設長以下全スタッフがアイデアを振り絞り、ここ数年で必死の営業努力を続けてきた。川越・狭山区域のHONDA関連工場には年間で24回にわたって出張販売に出かけるし、モーニング娘のツアーグッズとして「ハート型印刷大判煎餅」を音楽事務所に提案し、採用されるという快挙もあった。消費者の視点で本当に買いたいモノを厳選するという「いいものプロジェクト」にも応募し、その厳しい審査に見事に合格。伊勢丹新宿店や浦和店などの「良品工房」売り場において、全国から選りすぐりの逸品たちと肩を並べて販売されている。

売上高も急カーブを描いて上昇中だ。昨年度の売上高は1,500万円で、本年度は2,000万円の目標をめざしている。不況下で川越市内の煎餅事業者が軒並み売上を落とす中、「第2川越いもの子作業所」だけは別世界のようだと関係者を驚かせている。事実、各方面からの注文は毎日殺到しているようで、製品をいくら作っても納品が追いつかない状況がここ数ヶ月は続いているという。現在の利用者の月額平均工賃は、17,000円にまで伸びてきた。


  • 印刷煎餅はいもの子作業所の自慢商品の一つだ。

  • このように熱を加えると、焼かれた部分が黒くなっていく。

さらに高い工賃を求めた新事業が、うどんの製造販売だ

皆の郷では、2009年4月より新たに「川越いもの子製麺」といううどん製造事業をスタートさせた。組織的には「第2川越いもの子作業所」の出張所という位置づけで、より高い賃金を求める利用者ニーズに応えるために始めた取り組みである。きっかけは、金澤施設長の知人であった製麺会社社長からの打診であった。「工場を閉めることになったが、施設の事業としてやってみる気はないか?」

この社長は、日本中のうどんを食べ歩いて究極のうどんを作り上げたという職人肌の人物だ。彼がこれまで育ててきた「小江戸うどん」の味や技術、ブランド名、さらには機械までセットで贈与してくれるというのである。本来、製麺の仕事というのは技術の習得に非常に時間がかかり、素人の施設スタッフが簡単に取り組めるものではない。しかし、現在事業所長を務める佐藤康彦氏(39歳)が社長の下で半年以上徹底的な修行を受け、やっと「合格点のうどん」を作れるようになったというわけだ。

「川越いもの子製麺」が製造する「小江戸うどん」は、半生の麺であることが最大の特色である。生麺よりも腰が強く、乾麺よりもモチモチしていてみずみずしい。さらに、常温で製造日より約2ヶ月間持つという保存性の良さ。三日間熟成させて丁寧に作り上げるその麺は、本場・讃岐うどんの味に勝るとも劣らない。一袋250円(二人前)と価格は高めだが、味は「充分うどんマニアの舌にも耐えられる製品に仕上がっている」のである。

この事業は「工賃三万円の保証」を前提にして組み立てられた。したがって利用者への要求も他の施設とは比較にならないほど高いのである。現在は三名のメンバーだが、それぞれに営業係・宣伝係・副工場長という役割が振り当てられている。名刺も作成した。就業規定やタイムカードも用意するなど、ほぼ社員並みの扱いだ。高給を取るためには、もっと自立心を持つ必要がある。いずれは独立した事業体として、メンバーに50,000円以上の給料を出せる組織にすることが課題だ。

「全員が煎餅工場からの移動組です。人数も少ないし、周りに女性はいなくなってしまったし(笑)、最初はみんな寂しい思いをしていたみたいですね。でも実際に給料袋を手にしてから、彼らの目の色が変わりました。これまでは体調を崩すとすぐ休んでいた人が、簡単には休まなくなりましたしね。知り合いに名刺を配って営業活動もしているんですよ。自分たちの力で売上を伸ばし、高い給料をもらおうという意識が徹底されてきた気がします」と、佐藤氏はその成長に目を細めている。

労働の価値と対価とは何だろうか?

金澤施設長から、一つの事例として象徴的な話を伺った。養護学校卒業後、ある建設会社に一般就労した利用者が10年間勤めたものの、結局は現場に適応できずに「第2川越いもの子作業所」に入所してきた。そんな彼は一回目の給料日に、「15,000円が入った工賃袋」を抱えて嬉しそうに施設長のところにやって来て、「ありがとうございます」とお礼を言ったというのである。

「どうしてこの利用者は、15,000円の工賃をそんなに喜んでくれたのでしょうか? その前には建設現場で10万円の給料をもらっていた人ですよ。私はこう思うんですね。いもの子作業所に入って、彼は自分の居場所を再発見したらしいんです。高い給料をもらっても自分が必要とされていない単純労働の職場と、給料は安くても頼りにされる職場。いろんな選択があっていいですが、彼は自分が必要とされている職場に生き甲斐を見いだしました。やはり彼の中では、「仕事の質」も大事だったのと思います。さらに大切だったのは、仕事をする仲間たちとの交流なのでしょう。一人だけ孤立することなく、一緒に汗をかいて仕事をしたり、休憩時間には遊んだりする。そんな行為も彼にとっては職場選びの大切な要素だったのですね。そしてもう一つ。工賃袋を私からでなく、若い女子職員から手渡しさせた。これがきっと、彼の心をさらにときめかせたと思うんですよ(笑)

この話には、重要な要素が盛り込まれている。それは、仕事を選択する上で何が大切なのかは「本人が決めること」という当たり前の事実である。障害者自立支援法の制定以来、工賃倍増計画という数値目標が設定されて施設関係者は工賃アップのための施策に躍起になっている。もちろんこれは当然なことだし、さまざまなアイデアが研究されてしかるべきだろう。しかし数値目標が絶対化された時、そこには必ず落とし穴が待っている。

金澤施設長の話を続けよう。「現在ではこの利用者は、やっぱり10万円の方がいいかな、なんて言ってますけどね(笑)。理想を言えば、彼のような利用者が現在の職場環境を維持しながらも、一般就労した場合と同等の給料をもらえるような事業体にすることでしょう」

障害が重い人には、地域の中の作業所で働き、日々の生活をどう過ごしてもらうか。そして高い工賃をめざしている人には、どんな事業体を作り出すべきか。「川越いもの子作業所」のスタッフたちは、そんな課題に対して着実に挑戦を繰り返しているのである。

(写真・文/戸原一男)

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。