社会福祉法人昭徳会(愛知県高浜市)

アレルギー対応の焼き菓子「ぱりまる」で社会貢献を図る「授産所高浜安立」

昭徳会の概要

昭徳会は、12の高齢者福祉施設(安立荘/高浜安立荘/小原安立/養護老人ホーム高浜安立/ケアハウス高浜安立/ケアハウス大阪安立、高浜安立荘デイサービスセンター/養護老人ホーム高浜安立デイサービスセンター/高浜安立荘居宅介護支援事業所/いこいの宿高浜安立/小原安立/生活支援ハウス高浜安立)や、7つの障がい児・者福祉施設(小原学園/小原寮/泰山寮/授産所高浜安立/のぞみホーム/グループホーム高浜安立/さくや)、8つの児童福祉施設(駒形寮/名古屋養育院/若林寮/慈泉寮/子ども家庭支援センターさくら/ドミトリー駒形/ドミトリー南風/ドミトリー桜風)、3つの保育所(駒形保育園/光徳保育園/天王保育園)を運営する社会福祉法人である。

その歴史は明治45年、法華教の精神に則って宗教活動と救済活動をおこなうために設立された仏教感化救済会にまで遡る。孤児院を設置して、孤児、貧民、被虐待児の養護に励んできた。以来、一貫して時代に応じた福祉活動を幅広く展開している。(昭和9年に財団法人、昭和27年には社会福祉法人化)

法人の中で唯一の障がい者就労系事業所が、授産所高浜安立だ。他団体が運営していた無認可作業所であった高浜市福祉作業所の経営を引き継ぎ、1998年に再スタートを切った。設立以来の主な作業科目は、トヨタ関連の自動車部品の組み立てである。

  • 社会福祉法人昭徳会 ファッサード
  • 授産所高浜安立内、利用者のみなさん

食品事業・ぱりまる製造を始めた理由

そんな授産所高浜安立が、新たな作業として食品製造に取り組み始めたのは2008年のことである。その理由について、改田健児施設長(49歳)は次のように説明する。

「リーマンショック以降、自動車部品の下請け仕事が極端に減ってしまったことが自主製品を始めようと考えた理由です。下請け仕事というのはやはり、親会社の景気に左右されてしまいます。リスク分散のためにも、新しい事業をつくり出す必要がありました」

せっかく新しい事業に取り組むならば、単にお金を稼ぐだけではなくて世の中の役に立つ商品を作って販売したい。当時の成瀬正孝施設長は、そう考えた。そこで出てきたアイデアが、「食品アレルギーで困っている子どもたちが笑顔になるような、誰が食べても美味しいお菓子を開発しよう」というものだった。

とはいうものの、菓子づくりにもアレルギーのことにも詳しいスタッフがいたわけではない。近隣企業や団体を回って協力を依頼してみたところ、近隣にある食品加工会社「おとうふ工房」の石川伸社長と、愛知文教女子大学の安藤京子教授が協力を申し出てくれた。こうして産・官・学&福祉施設の連携による「ぱりまるプロジェクト」がスタートしたのである。

安藤教授は食品アレルギーの研究を20年以上も続けているスペシャリストであり、お菓子のレシピを担当してもらった。めざしたのは、「アレルギー対応食品でありながら、一般の子どもでも美味しいと感じてもらえるようなお菓子」である。食物アレルギーをもつ子どもたちだけが食べるのではなく、みんなで一緒に「美味しいね!」と食べてもらいたいからだ。

食品工場を作るにあたっては、その環境整備や機械設備についてのノウハウを「おとうふ工房」の石川伸社長から全面的にアドバイスいただいた。行政からは、衛生面の徹底的な指導を受けている。

  • 授産所高浜安立 改田健児 施設長
  • ぱりまるプロジェクトで生まれたアレルギー対応食品「ぱりまる」

7大アレルギー対応の安全なお菓子・ぱりまる

アレルギー対応食品を製造するには、徹底した衛生管理が必要である。その厳格さは、一般的な焼き菓子を作る時とはレベルが違うものとなる。なにしろ「ぱりまる」の原材料となるのは、国産大豆と米粉、おから、粗糖、塩、味付けの調味料のみ。アレルギー表示を義務づけられた特定原材料の「卵・乳・小麦・エビ・カニ・落花生・そば」に関しては、工場内に絶対に持ち込まないという完璧なアレルギー対策が必要なのだ。

「新事業を立ち上げるに当たり、施設の一階を改造して最新の食品工場を作りました。クリーンシステムやエアシャワーは当然のこと、たとえ粉じんでも工場内に入り込まないように細心の注意を図った衛生管理を行っています。こうした実績が評価され、2015年には愛知県食品衛生協会衣浦支部から食品衛生優良施設として表彰されました」

と、改田施設長は胸を張る。高度な衛生管理システムを取り入れるだけでなく、製造ラインにも高度な機械を多数導入している。コンピュータ自動制御によって安定した煎餅の品質を保てる焼成機、一定量の煎餅を誤差なく袋詰めできる自動計量器や袋とじ機、万が一異物が製品に混ざった時でも安心の金属探知機、等々。初期の設備投資だけでも3,000万円以上もかかったという。全国で食品製造を行っている障がい者施設は多くとも、衛生管理にこれだけの設備を導入しているところは稀だろう。

材料にも徹底的にこだわった。大豆や米粉は愛知県産、おからは国産のものを使用している。黒砂糖は沖縄産、カレー味に使用しているカレー粉も永谷園のA-Labelを使用。これもまた、食物アレルギー配慮食品として作られているブランド食材だ。品質に対するこだわりと自信は、業界でもトップクラスといえる。食品アレルギー研究が専門の安藤教授の管理が行き届いているのだから、それも当然なのだろう。

  • 高度な衛生管理システムを取り入れるだけでなく、製造ラインにも高度な機械を多数導入
  • 「ばりまる」は、材料・品質・衛生面にも徹底的にこだわり、製造されている

東日本被災地の避難所では、アレルギーの子どもを救った!

2011年の東日本大震災の時には、救援物資として被災地に送った「ぱりまる」が避難所にいた食物アレルギーをもつ子どもたちを救ったこともあるのだという。改田施設長は、当時のことを思い出す。

「文教女子短大の学生たちが被災地の食物アレルギーの子どもたちに向けて『とどけ! ぱりまるプロジェクト』を立ち上げ、学生たちに寄付を募って購入してくれた『ぱりまる』を被災地に送ったところ、思わぬ反応がありました。『ぱりまる』を避難所で見つけたお母さんから施設に直接電話があって、涙ながらに感謝の言葉を伝えてくれたのです。避難所には多くの救援物資が送られてくるのですが、食品アレルギーのことまで配慮した食べ物はほとんどありません。いくらお腹をすかせても、食品アレルギーの子どもたちには何も食べさせることができない。このままだとどうなることか...と深刻な状況に追い込まれていたときに、『ぱりまるプロジェクト』のことを新聞で知ったというのです。『本当に有り難うございました。とても美味しいと、子どもたちはみんな大喜びでした』と語るお母さんの声を聞いて、私たちも本当にうれしかったですね。社会に少しでも役に立てる仕事としてこの製品を作ったことが、正しかったと確信できました」

  • 東日本被災地でもアレルギーの子供に大活躍
  • 子供達からの感謝状

「ぱりまるプロジェクト」は、文教女子短大の学生たちを中心に授産所高浜安立も加わって、地域住民からの募金活動を続けている。現在では被災地以外にも保育園や、子育て支援グループにも「ぱりまる」を送るという動きに進化しているらしい。

課題は、「どうやって売るか」に尽きる

食品アレルギーをもつ子どもたちにとって非常に価値ある食品である「ぱりまる」。しかし、事業的には当初予定していたほどの売上が確保出来ていないのも現実だ。県内の保育園や老人施設のおやつとして採用されたり、「おとうふ工房」の販売ルートを活用させてもらった店舗委託、生協や農協、地元スーパー等での販売が主体となっているが、2014年度実績で年間売上は407万円程度にとどまっている。改田施設長は、今後の販路開拓が最大の課題だと語る。

「生産設備は最新鋭の特別ラインを組んでいますし、すべての食材も選び抜かれた国産品のみ。食品アレルギーに苦しむ子どもたちにも安心して食べてもらえるように細心の注意を傾けています。そのためお菓子としては製造原価が非常に高くなってしまうのが、悩みの種ですね」

2014年度から新しい製品として、テンパリングチョコレートをコーティングした「ぱりまるしょこら」や、崩れたぱりまるを有効利用した「ぱりまるクランチしょこら」を開発した。チョコレートを使っているためにアレルギー対応食品ではないのだが、「ぱりまる」の名を少しでも広めるための戦略的商品だ。

「ぱりぱりした素朴な食感のぱりまるとチョコレートの相性は抜群なので、イベント等でもこちらの商品は非常によく売れています。最近、東京駅構内1Fのサラスコートにある『ニッコリーナ エキュート東京店』でも取り扱ってくれるようになりました。一般の方が食べても美味しい『ぱりまるしょこら』『ぱりまるクランチしょこら』を通じて、ぱりまる事業の意義をもっとたくさんの人に伝えていきたいですね」と、改田施設長。

  • 「ぱりまるしょこら」、「ぱりまるクランチしょこら」を商品化
  • 「ぱりまる」商品の製造風景

課題は、やはり「どうやって売るか」に尽きるだろう。ぱりまる本来の製品価値は、あくまで食品アレルギーをもつ子どもたちに向けたお菓子というところにある。厚生労働省の調査によると、全人口の1〜2%(乳児に限定すると約10%)の人々が、何らかの食品アレルギーをもっていると考えられている。現代においては、もはや決してマイナーな市場とは言いがたい。求めている人たちにしっかりとアピールできれば、社会貢献しながら利用者たちの工賃アップを図るという当初の事業目的はきっと達成できることだろう。「日本セルプセンターを初めとするさまざまな支援組織の力も借りながら、全国に向けた販売展開を今後も続けていきたいですね」と、改田施設長は最後に力強く語ってくれた。

(写真・文/戸原一男)

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。