社会福祉法人ゆたか福祉会(愛知県名古屋市)

地域内エネルギー循環システムの核として重要な活動を続けるつゆはし作業所

社会福祉法人ゆたか福祉会の概要

ゆたか福祉会は、ゆたか希望の家・なるみ作業所・ゆたか作業所・リサイクルみなみ作業所・資源回収みなみ・みのり共同作業所・ふれあい共同作業所・ワークセンターフレンズ星崎・つゆはし作業所・リサイクル港作業所第1・リサイクル港作業所第2・あかつき共同作業所等を中心にして、愛知県内で障害者事業を営む社会福祉法人である。この他、居宅支援事業所や生活支援事業所、高齢者デイサービスセンター等を含めると30を超える事業所を有する巨大法人となっている。

社会福祉制度が現在ほど整っていなかった1969年に、全国初の無認可共同作業所として名古屋市南区に誕生したのがゆたか福祉会のスタートである。「どんなに重い障害があっても、人間として大切にされ、成長・発展する権利がある」という考えのもと、地域や多くの関係者たちと協力しながら、障害者たちの働く場を当事者やその家族たちが中心となって作り出してきた。ここで活き活きと働く人たちの姿が共感を呼び、全国に作業所を作るという運動が活発化していくのである。

事業内容としては、設立当初から環境問題への取り組みを法人の基本的方針としてきた。まだリサイクルという概念が普及していなかった時代に、市の委託を受けて空きビンの回収選別事業をスタートさせた。現在のゆたか福祉会ではこの他にも食品や縫製事業などを営む事業所も増えたが、障害者が仕事を通じて地域の人たちと交流することをめざしているのは変わりない。全国有数の規模を誇る認可法人に成長した今でも、設立当初の運動的側面を強く残している組織である。

リサイクル油から作られるつゆはし作業所の粉石鹸

そんなゆたか福祉会の中でも、リサイクル油を中心とした運動を事業とするのがつゆはし作業所だ。具体的には、名古屋市内の小学校・保育園・幼稚園・病院の厨房で使用済みの油を回収し、施設内に作られた本格的な石鹸工場で粉石鹸に加工、完成した製品を地域内の生協や市内官公庁のさまざまな売店等で販売する。「廃油活用の地域内リサイクルシステム」をきちんと確立した上で事業をスタートさせている点が、いかにもゆたか福祉会に属する施設の取り組みらしい。

つゆはし作業所が石鹸事業を始めたきっかけは、昭和40年後半に近隣の滋賀県で生まれた「合成洗剤不買運動」に遡る。面積約670キロ平方メートルを誇り、水鳥の宝庫でもあった日本最大の湖・琵琶湖。そんな大きな湖が、当時は生活排水や工場排水によって水質汚染が深刻化し、放置できない状況になってしまった。そこで近隣に住む市民や生協などが中心になって、湖の富栄養化をストップさせるためにリン系合成洗剤の追放運動を繰り広げたのである。市民が立ち上がった大規模なキャンペーンは全国的にも有名となり、ついに行政を動かした結果、「琵琶湖条例」「風景条例」「ヨシ群落保全条例」「琵琶湖総合保全整備計画」の制定につながっていく。

行政と企業、市民が一体となった滋賀県の環境活動が大成功を収めたというこのような時代背景の中で、つゆはし作業所が愛知県に提案した「廃油を活用した地域内リサイクルシステムを施設の事業とする案」が歓迎され、行政からも全面的な協力を得たというわけだ。本来油を回収するという業務は、産業廃棄物取扱事業所としての許可が必要である。つゆはし作業所では事業開始時からこの免許も取得し、専門の廃油回収車が市内の拠点数カ所を定期的に回って油を回収している。回収作業にも利用者が同乗し、市民とのコミュニケーションを大切にしてきた。

年間売上の約半分を占めるのが地域の生協というだけに、製品のパッケージデザインやネーミングなどにも力を入れている。それがつゆはし作業所オリジナルの「ホカホカせっけんシリーズ」だ。クマのキャラクターを活かした製品には「洗濯用粉石鹸」「台所用石鹸(粉タイプ)」「台所用石鹸(リキッドタイプ)」等の自社製造石鹸群の他にも、「オリブ固形石鹸」「オリブローヤル化粧石鹸」「キッチンクリーン重曹」など、キッチン周り製品としてバラエティ豊かなラインナップを用意している。

菜の花プロジェクト参加と昨今のバイオ人気

環境運動というと、最近では「バイオマス」をキーワードとした資源循環型社会の構築が流行テーマである。バイオマスというのは生物を利用したエネルギーシステムのことなのだが、実は植物から燃料を作るだけではあまり意味がない。本来的には、以下のような「地域内リサイクルシステム」を構築することが重要なのである。

  1. 畑で植物(菜の花等)を栽培し、菜種から絞油した菜種油を料理に使う。
  2. 絞油時に出た油かすは肥料や飼料として活用する。
  3. 料理で使った廃油は回収して、石鹸や軽油の代替燃料(バイオディーゼル=BDFとしてリサイクルする。

最近では、地球温暖化対策の一環として地域住民たちが自分たちで参加できる新たな環境運動がスタートした。いわゆる「菜の花プロジェクト」だ。ドイツでは十数年も前から菜種油を化石代替エネルギーに据える計画が進められてきたのを参考にして、日本でも菜の花畑を増やしていこうという運動である。2001年に滋賀県新旭町で開催された「菜の花サミット」には、全国27都道府県から500名を超える参加者が集うという規模にまで発展している。

愛知県内でもこのプロジェクトに共鳴し、耕作放棄地を活用するなどして菜の花栽培、菜種油の製造を実施する団体は多くなっていたが、肝心の「廃油の回収」「廃油から石鹸製造」「廃油からBDFの製造」部分を実践できる団体が少なかったのが実情だ。つゆはし作業所が開設以来ずっと実践してきた活動は、昨今のバイオブームの中で「資源エネルギー循環リサイクル」という大きな視点から再評価されることになった。そのため最近では愛知県内の「菜の花エコプロジェクト」のメンバーとしても参加、その活動の中核を担う組織として期待されている。

そんな流れから、2005年より新たな事業としてBDFの製造にも取り組み始めた。事業的にはまだ実験段階の域を出ていないが、月800リットル程度の燃料はすでに製造しており、一般の顧客にも販売している。ニーズはあるので、さらに大きなプラントも建設中だという。また「天ぷら油で、車が走る」ことを実証するためのイベントなどにも積極的におこない、そのためにわざわざ専用のレーシングカー(ゴーカート)を製作した。子どもたちに理解させるためには、会場でこの車を走らせてみせるのが一番である。天ぷら油の匂いを漂わせながら豪快に走る車を見ると、どんな子どもたちも興味津々で、つゆはし作業所の取り組みに理解を示すようになるらしい。

バイオブームが、つゆはし作業所のピンチを招いた。

しかし昨今のバイオブームが、実はつゆはし作業所にとって設立以来最大のピンチを招いたというのだから皮肉な話である。ブームの高まりにより植物油の価格が高騰した結果、BDFを製造するための原材料として料理に使った後の廃油が急に注目され出したのだ。これまでは廃油というのはゴミであり、大量に廃棄する場合には産業廃棄物として有料で指定業者に引き取ってもらうことになっていた。つゆはし作業所もその業者の一つとして、引取先から「処理料」をもらって廃油を回収していたわけである。このビジネスモデルが、一気に崩壊した。

本来は産業廃棄物取扱事業所でないと回収できない廃油を求めて、無許可の産廃業者が雨後のタケノコのように続々と現れ、「お金を支払って」廃油を回収し始めたのである。油を提供する施設からすれば、これまでコストとみなしていた廃油処理が逆に収入になるわけだから、こんなに有り難い話はない。つゆはし作業所のほとんどの取引先は、次々と契約を切り替えてしまった。粉石鹸をつくる材料を失ったつゆはし作業所は、一挙に事業存続の危機に陥ってしまったのである。

そんな施設のピンチを救ったのは、地元のマスコミであった。松永誠司副施設長(36歳)は、当時の様子をこのように語っている。

「あのときは本当に大変でした。藁にもすがる思いで知り合いに地元新聞の記者を紹介してもらい、窮状を訴えたんです。つゆはし作業所がおこなっている活動は地域内循環型システムにおいて重要な役割を果たしていると同時に、障害者の収入源にもなっているのだ、と」

中日新聞に掲載された記事は大きな反響を呼び、その記事を持って一度は契約解除を申し出てきた取引先を回り、再度お願いした結果、廃油の提供を再検討してくれた。時代の流れの中で「これまでのように処理量を支払ってもらって有料で引き取るのは不可能」と考え、「処理料無料」とした事業判断も正しかった。「給食場のおばちゃんたちが、学校の校長先生に記事を見せて掛け合ってくれた時もありました。とても有り難かったですね」

この後、松永氏は感謝の意を込めて今度は「経営の危機脱出」という記事を掲載してもらい、大手外食チェーン店から廃油提供してもらえることになった話題などを伝えている。地域の中で住民たちと共に、リサイクル石鹸事業を25年以上も継続してきた歴史があるからこそ、周りの人々が一生懸命サポートしてくれた。施設と地域とメディアのあり方を考える上でも、つゆはし作業所のこの事例は重要であろう。

「環境活動」は、障害者も参加できるのがメリット。

事業所のピンチに、メディアを有効活用した戦略を考えたことからもおわかりのように、松永副施設長は営業&広報マンとしても非常に優秀な人物だ。大学卒業後は民間の医薬会社の営業部に就職し、薬を家庭や事業所に配置販売する仕事を続けていたという異色の経歴を持つ。友人の紹介で門外漢の福祉業界に転職してきたのだが、自分の得意分野はあくまで営業であり、福祉の専門的知識はほとんど持ち合わせていないという。施設における自分の立場は、あくまで商品を販売することであると考えている。

「つゆはし作業所の仕事は、楽しくて仕方ないですね。というのも商品の開発からすべて自分が関わり、それを自分で売ることができるわけでしょう? こんなことは昔の会社では考えられませんでした。しかも一つひとつの商品には、それが完成するまでのストーリーがあります。どんな利用者が関わって、どんな思いを持って製品が作られているのか。それをお客さんに話していくだけでも楽しいし、理解者を増やすことができます。人とのつながりを大切にして、地道に努力していけば、結果(=売上実績)は後からついてくるものだと私は信じています。昨年度末のピンチも、周りの人たちによって救われたわけですしね」

廃油の取り合いによる事業危機を乗り越えたものの、つゆはし作業所のリサイクル石鹸事業の今後は楽観視できないのも正直なところらしい。なぜなら、メインの販売先としてきた生協でも粉石鹸の愛用者が減ってきており、売上は減少を続けている。それでなくても世の中は、技術の進歩によって脱・洗剤をウリとする洗濯機が開発されているほどなのである。合成洗剤を使わなくてもマイナスイオンの力で洗浄できる機器が普及していけば、いずれは洗濯用石鹸そのものが不要になっていくことだろう。

そんな時代の流れを見誤ることなく、粉石鹸に代わる事業の柱を今から用意しておくことが必要なのだ。小野勝幸施設長(53歳)も語っている。

「実はこれまでも、粉石鹸から液体石鹸、そしてバイオ燃料製造と、少しずつ事業の方向はシフトしてきているのです。欲をいえば、もう一つ新しい柱を作っておきたいところですね。もちろん私たちの事業の基本は環境問題ですから、この枠は崩せませんけど。環境問題というのは障害者でも一般の人と対等に参加できる活動です。周りから与えてもらうだけではなく、自分たちもみんなと一緒に運動に参加していく。それが私たちの活動の原点なのです」

廃油回収による経営ピンチから、周りの協力で立ち直ったつゆはし作業所。地域との強い連携の輪を最大の財産として、これからもきっと新たな事業を生み出して成長を続けていくことだろう。

(写真・文/戸原一男)

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。