社会福祉法人治誠会(熊本県阿蘇市)

「完全無臭」の馬油を、大学と共同開発した阿蘇くんわの里の取り組み

社会福祉法人治誠会の概要

治誠会は、障害者支援施設「阿蘇くんわの里」を中心に、「就労継続支援A型」「就労継続支援B型」「就労移行事業」「生活介護事業」「生活訓練事業」等を運営する社会福祉法人である。

その名の通り、施設の庭からは阿蘇山が見渡せる絶好のロケーションの中、「阿蘇くんわの里」「くんわ地域生活支援センター」「くんわ就労継続支援事業所」「自立の家」等の建物が連立し、知的障害者が自立に向けたすべての訓練を受けられるような小さな町として機能している。

作業品目として、アルミダイカスト鋳造物のバリとり&研磨加工・畳の製造販売・コンテナ洗浄清掃作業(就労継続A型)、馬油製造・ふすま&障子製造(就労継続B型)等がある。平成19年4月に新制度へ事業移行を実施した際に、以前の福祉工場と授産事業の作業を統合整理し、事業再編をおこなった。

それは、ここ数年の景気悪化によって福祉工場の作業主体を占めていたアルミ部門の売上が急激に落ち込んできたからである。事業再編の結果、比較的高い工賃を支払える畳製造をA型の主力作業としたため、B型の柱として新規自主製品開発が緊急課題になった。馬油製造というのはそんな状況の中で生まれてきた、阿蘇くんわの里の新しい取り組みなのである。

熊本県では、馬油が一家に一瓶の必需品?!

ところで「馬油」とは何だろうか? 読んで字のごとし、馬から採取される油脂である。その歴史は古く、中国では4,000年の昔から愛用されていたと伝えられている。5〜6世紀に発行された「名医別録」や、16世紀の名著「本草網目」でも馬油の利用法や効能についての記載がある。日本には約400年前に九州南部にある小藩に伝えられたのが始まりとされ、以来九州地区では「火傷や肌の荒れに効く」民間治療薬として伝統的に使われてきた。とくに熊本地方では多くの家庭で愛用されてきた歴史があり、現在でもほとんどの家庭で常備されているのだという。

馬油の特徴は、人間の皮脂にもっとも近い成分を持つ自然の油脂であることだ。そのため肌の角質層まで浸透しやすく、不足する脂質を補う役割を果たしている。試しに肌に塗ってみると、さらさらの使用感に驚く人が多いが、これこそが馬油の強力な浸透力の証である。動物性油脂であるにもかかわらず、その成分は不飽和脂肪酸が大半を占め、コレステロールの沈着を防ぐ効果もある。阿蘇くんわの里が新事業を始めるに当たって、こんな価値ある「地域特産品・馬油」に目をつけたのは、当然の流れなのであった。

そうはいっても、製造するためには各種の許認可が必要な医薬部外品である。スタート時のハードルは高いと言わざるを得ない。そこで熊本市内の化粧品会社に協力を持ちかけ、職員と利用者を半年間派遣し、馬油石鹸と馬油クリームの作り方を教えてもらうことになった。みんなで一通り製品が出来るようになったところで、自分たちが製造にも参加したそれらの製品をまずはOEMとして仕入れさせてもらい、阿蘇くんわの里「馬油シリーズ」の販売事業が開始したのである。馬油石鹸には、知的障害者のアート作品をプリントしたカードを添付し、売上金額の5%を作者に支払うという福祉施設ならではのアイデアも盛り込んでいる。

理想の馬油を求めた製品開発がここからスタート

普通ならここで事業開発は終了してもおかしくないのだが、阿蘇くんわの里の馬油事業は、ここからがスタートであった。馬油が民間治療薬として優れているのは、九州人なら誰もが知っている事実だ。問題は、その独特の臭いである。そのままではとても肌につける気にならないし、だから各社は独特の製法で臭いを消したり、大量の香料を添加して製品化している。

提携した企業の製品もそうだった。もちろんそれは一つの解決策であり、伝統的に培われてきた技術でもあるわけだ。しかし、もっと根本的な方法で臭いのない馬油を作れないものなのか? 野口隆支援員(56歳)は馬油に対して昔からずっと抱いてきたそんな疑問を、本気で解決すべく動き出した。最初はもちろん提携企業に相談してみたが、まったく相手にしてもらえない。それは当然だろう。これは、何百年もの歴史ある馬油製造法の根本を覆す提案でもあるわけだ。当時のことを野口氏は、こう振り返っている。

「どうして馬油が九州以外に広まらないのかと言えば、その臭いが最大の原因だと思うんです。臭いさえなければ、もっと日本中に広まっていい。化粧品としては、それだけ価値ある製品ですよ。では、無臭の馬油づくりは不可能なのか? 絶対に何か方法がある。動物油脂を無臭の状態にして抽出する、そんなことを研究している人がいるはずだ。そう信じて、ずっと調査を続けていきました」

野口氏がインターネット検索をかけた結果、鳥取大学農学部の斉藤俊之准教授が発明した「動物油脂の製造及び製造装置」という論文にたどり着いた。高圧蒸気を吹きかけて臭い成分を飛ばすという従来製法に比べ、オイルにダメージを与えず完全に無臭の状態にしたオイルを安価に抽出できるという画期的技術だ。この技術は鳥取大学が特許申請中であり、その提携企業を募集中であった。

野口氏はその優れた技術に注目し、さっそく一方的な依頼のメールを送信、すぐに大学を訪れることになる。そうはいっても、相手は鳥取大学の知的財産管理部門担当、鳥取県特許流通アドバイザー、そして斉藤俊之准教授という面々である。九州の山奥の障害者施設の職員が、大学が誇る最先端の特許技術を使って(もちろん高額の特許使用料が必要だ)事業を開始したいという突飛な申し出に、先方も当初は半信半疑で応じていたのが実情らしい。当時はまだこの技術は実験段階であったため、事業化するとなるとプラント製造にどれくらいの費用がかかるかも試算されてはいなかった。

「もしかしたら1億円くらいかかるかもしれません、と脅されました。私は何気ない顔で、『問題ありません』って即答しましたよ(笑)。ここまで来たらやるしかないし、いちいち上に相談なんかしてられません。そんなことしていたら、話が先に進みませんからね」と、野口氏。

一職員が独断でそのような話を進めてしまって、後で問題は起きなかったのだろうか? しかし、野口氏から報告を聞いた岩本浩治施設長(56歳)の反応は、「(お金のことは)どげんかなるばい(笑)」の一言だった。阿蘇くんわの里は、それほどまでに今回の馬油事業に賭けていた。そのためには、相当額の投資が当然必要だと覚悟していたわけである。この決断があったからこそ、先端技術者とタッグを組んだ革新的な馬油開発を実現することができた。事業開発における経営者の決断力の重要性を教えてくれる格好の事例であろう。
(ちなみにプラントの設備費用は、結果的には覚悟していたほどかからず、600万程度で収まったらしい)

開発1年、ついに完全無臭の馬油オイルが完成した

馬油の臭いをなくすコツはもちろん企業秘密になるが、基本的には油脂の水分をどうやって取り除くかに尽きる。本来、純粋な油脂には臭いがない。独特の臭いがするというのは、油が酸化して痛んでしまうためだ。馬油に余計な熱を加えることなく、空気に触れない環境で、時間をかけてじっくりと油分だけを抽出していけば、「無味」「無臭」「純粋」なオイルになるはずなのだ。阿蘇くんわの里の馬油製造プラントは、プレス機・真空容器・冷却トラップ・真空ポンプの4機から成っている。斉藤准教授も阿蘇の地まで何度も指導に訪れて、一年間の試行錯誤の末に理想の馬油オイルが完成したのである。産学連携によるこの新製品開発は、日刊工業新聞主催「第4回モノづくり連携大賞」特別賞を受賞した。

商品の質に負けないパッケージにもこだわった。商品名を「和潤精(わじゅんせい)」とし、高級化粧品のイメージで専門家にデザインを依頼する。「馬」の文字をあしらったマーク、上品な柄模様の馬のイラスト等、他社のどの馬油製品と比較しても負けない高級感溢れるパッケージである。ボトルがまた凄い。高品質のオイルが劣化しないように、エアレスポンプを採用しているのだ。オイルを使うたびに底部がせりあがっていくため、瓶の中に空気が入らない仕組みになっている。コストはかかるが、せっかくこだわった無臭のオイルが、ユーザーの元で劣化しないようにしたかったのだという。

販売デビューは、2009年2月の県内ショッピンクモールにおける熊本県授産施設協議会主催のバザーであった。お客さんに実際に使ってもらいながらオイルの素晴らしさを訴えたのだが、さすがに地元の人たちの反応は敏感であった。「まったく臭いがない」という点が高く評価され、次々に売れていく。15mlタイプの小ボトルを、3日間で98本販売した。想像以上の反応で、「高品質の馬油を作れば売れるはずという予測が、確信に変わりました。本当に嬉しかったですね」(野口氏)

地元ホテルや土産物店60店に委託販売する名物品に

製品販売に自信を得た阿蘇くんわの里のスタッフたちは、イベント終了後に市内のホテルや土産物店に次々とアタックし、製品を委託販売してもらえるように営業をかけた。熊本土産として馬油はどの店でも売れ筋の製品であると同時にライバルも多いが、「完全無臭」を売り物にする「和潤精」の評価は高く、どの店でも好意的に取り扱ってくれている。価格が比較的リーズナブルなこともあるだろう。現在その数は60店舗にも増えた。どの店でも「馬油オイル」「馬油石鹸」「馬油クリーム」の3セットの取り扱いで、土産物としてまとめ買いをするお客様も多いらしい。

新しい自主製品の開発は、施設内にも大きな変化をもたらした。これまでは阿蘇くんわの里としてバザーに出店しても、ほとんど売上は見込めなかった。どこの施設でも作っているような手作り品を販売していたからである。ところがバザーでもダントツの売上を誇るオリジナル製品が出来たことで、意識が大幅に変わったというのだ。

サービス管理責任者の碓井敏幸氏(38歳)は、語っている。「やっぱり『売れる商品』ができたことで、みんなのモチベーションは一挙に向上しましたね。企画会議をやるたびに、飛び込み営業先の開拓リストとか、注文カードの作り方とか、スタッフから次々とアイデアが出てくるようになりましたから。下請け作業中心の時代からは考えられないことですよ(笑)。この雰囲気は利用者にも伝わって、施設全体のムードがいい方向に高まっていると感じています」

今後の夢も、大きく膨らんでいる。なにしろ日本で唯一ともいえる「完全無臭」の馬油技術を誇る阿蘇くんわの里である。ここで製造されたオイルを企業に大量に卸していく可能性もあるだろうし、無臭オイルを使った施設オリジナル製品ラインナップを増やしていくことも考えられる。現在は提携企業(株式会社村善)の「阿蘇くんわの里工場」として登記している関係上、阿蘇くんわの里は「総販売元」と製品に表記されているわけだが、近いうちに薬剤師を常駐させた化粧品工場を独自に建設し、無臭馬油クリーム等も開発できる体制を整える予定である。

最後に、もう一度岩本施設長にパワー溢れる口調で語っていただこう。「障害者自立支援法によって、施設運営はこれまで以上に経営という視点を持たざるを得なくなりました。これはとてもいい変化だと私は考えています。もっと気迫を持って、事業をおこなっていくことが大切です。与えられた福祉ではなくて、攻めの福祉。行政サービスの代行という意識だけではダメです。これからはもっとガンガン攻めにゃ、いかんとですよ」

阿蘇の山麓から生まれた画期的な製品を武器にして、阿蘇くんわの里は今後どのような成長を遂げていくのか。販売事業はスタートしたばかりであり、今後の発展に注目していきたい。

(写真・文/戸原一男)

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。