社会福祉法人大村パールハイム(長崎県大村市)

大村パールハイムは、田崎真珠(株)の創業者が設立した真珠加工作業を専門とする就労施設

大村パールハイムの概要

大村パールハイムは、田崎真珠株式会社の創業者である(現名誉会長)田崎俊作氏が設立した社会福祉法人である。作業課目として真珠の加工を専門におこなう日本初の障害者施設として、重度身体障害者授産施設パールハイムを1975年に設立した(2009年9月現在、新体系への移行未実施)。定員は入所50名、通所19名となっている。

大村湾は昔から真珠の養殖が盛んな土地であり、田崎真珠(株)の養殖場もこの地にあった。大村出身の有名な企業家である田崎俊作氏に対し、長崎県から福祉基金要請の打診があったのをきっかけに関係者が議論することになり、「障害者の人達が社会の中で健常者と同等に胸をはって、自立をする為には『金』だけですべてが解決する事でない、生きがいとなる『仕事』を持つ事であろう」(創立20周年記念誌より)との結論に達し、授産施設を設立することになった。

当時長崎県には障害者が働く場である授産施設は一つもなかったため、パールハイムの建設は地元福祉関係者の間で大いに歓迎された。しかも作業課目は真珠という宝飾品の加工作業である。重度の身体障害者でも車いすのまま座って作業ができ、入所施設を完備し、しかも当時の福祉水準では破格の工賃を支払うことができる授産施設。奇しくも長崎空港の開港と同じ日に開設したパールハイムは、田崎真珠(株)が全面的に仕事の発注をおこなうという支援体制によって、順調なスタートを切った。1981年には隣接地に重度身体障害者多数雇用事業所・田崎真珠(株)大村工場も建設され、「施設から一般就労への道」が用意されることになった。これまでに26名の授産生が工場への就職を果たしている。

2009年1月、パールハイムに衝撃が走った!

設立から35年。これまで着実に成長してきたパールハイムに事件が起こったのは、今年1月のことである。田崎真珠(株)がかねてより深刻な経営危機によるリストラ策の一つとして、大村工場の閉鎖を決定。当時工場に勤めていた社員の数名は、再びパールハイムに戻ってくることになった。当然、事業の柱としてきた田崎真珠(株)からの真珠加工下請け作業も激減してしまう。事業運営はシビアなまでの転換が急激に求められることになった。

ちょうど、その時期に施設長の交代が重なった。定年退職となった前施設長に代わって就任したのは、田﨑真氏(50歳)である。氏は田崎真珠(株)に27年間在籍し、神戸で真珠の加工に20年、佐世保の九十九島では7年真珠養殖の仕事に従事した経歴を持つ真珠のプロである。

これまでは田崎真珠(株)から発注される下請け作業を淡々とこなしていればよかったが、これからは施設内で製作する真珠製品を自主製品として販売していかなければならない。しかし装飾品である真珠を販売するためには、真珠に対する幅広い知識と、販売力、そしてなによりも真珠を仕入れてくる人的ネットワークが必要である。長い間真珠に携わった経験を持つ田崎施設長は、転換期にあるパールハイムにとってまさに最適の人材であった。

真珠加工一筋35年で培ってきた技術の積み重ね

パールハイムの強みは、真珠の加工を35年間ずっと続けてきた技術力にある。下請け作業とはいっても、事実上は田崎真珠(株)の加工部門として高度な技術レベルを要求されてきた。ここで培ってきた技術ノウハウは、他の追随を許さないものなのだ。

「最近は安い人件費を求めて、海外で磨いた貝殻等がインテリアショップで販売されていますけど、私たちから見たら仕上がりの差は明らか。これだけ綺麗に加工できる技術を持っている工場はなかなかないと思いますよ」と、藤克也指導員(48歳)。田崎真珠の製品の品質を自分たちが支えてきたというプライドを感じさせてくれる。

マベ真珠の加工もパールハイムが誇れる技術の一つだ。マベ真珠とは、熱帯・亜熱帯地域に広く分布するマベ貝から採取される真珠のことだ。別名「半円真珠」とも呼ばれ、他の真珠(真円)と違って半円の形が特色である。裏がフラットになっているため、ダイヤなどの宝石のようにジュエリーとしてさまざまなデザインを施すことができる。また独特の美しい真珠層も魅力の一つであり、きめ細やかな美しい輝き、代表的なレインボーカラーの燦めきは真珠の中でももっとも美しいと評価する人も多い。

日本におけるマベ真珠養殖場は、田崎真珠(株)奄美養殖場が唯一の存在であったが、現在はこの養殖場はマベ真珠専門の「奄美サウスシー&マベパール株式会社」として独立。パールハイムではマベ真珠の加工を主体として請け負ってきた関係で、新会社と一緒にマベ真珠の美しさを市場に訴えていく活動を続けていくことにした。「マベ真珠の良さは、なんといってもその重量感。半円だからサイズが大きくても、ジュエリーとして邪魔になりません。丸だけでなく、ハート型などさまざまな形を自由に作れるのもマベ真珠の特色です。これまでずっとマベ真珠に関わってきたので判官びいきのところもありますが、これからも養殖場の方たちと一緒にその良さをアピールしていきたいですね」と、永橋和人指導員(28歳)は熱く語っている。

自主製品売上を重視。パールハイムの新しい事業展開

新しい施設長の下、今年度より事業計画を大幅に見直し、これまでの下請け依存から自主製品の売上を中心にする方向に舵を切った。販売活動の中心を担うのは、原口美津子指導員(58歳)と児玉尚史指導員(46歳)の二人だ。現在、地域の福祉施設や養護学校、企業等に定期的に出向いて出張販売をおこなっている。県内のある縫製企業などは30名規模の工場であるにもかかわらず、会社として非常に好意的に受け入れてくれることもあって、一回の販売で三十万円以上を売り上げてくることもしばしば。結婚記念日の贈り物として、数十万円のネックレスをお買い上げいただく顧客もついてきたらしい。今後このような協力団体・企業をいかに増やすことができるかが、売上げ目標達成のための最大の課題だ。

販売担当の二人の積極的な動きもあって、パールハイムとしての本年度(8月末現在)の製品売上は計画以上の推移を示している。しかし下請け作業による授産収入は大きく減少しているため、事業的にはまだまだ苦しい状況だ。とはいえ利用者への月額工賃は、約30,000円。全盛時からすれば減ったとはいえ未だに全国平均以上をキープしており、依然として九州地区では高水準にある。これはやはり、装飾品の製造販売という非常に付加価値が高い事業をおこなっているからこそ実現できる数字なのだろう。「これまでは田崎真珠(株)の下請け工場の立場から、販売活動よりものづくりが主体でした。これからもこの姿勢は大事にしていきますが、販売活動により力を入れていく必要があります。マベ真珠やマベ貝の貝殻を使ったオリジナル製品を開発したり、あらゆる方法を駆使して売上を確保していきますよ」と、田﨑施設長。

利用者一人ひとりの夢を実現するために

創業時に作られたパールハイムの施設歌には、こんな一節がある。 「きらきら光るみんなの目 ぴかぴか光る作業台 いま真剣にとりくめば 至難のわざもなんのその 胸にはたらく誇りあり われら大村パールハイム」

この歌に込められた利用者たちの仕事への希望と夢は、今でも決して色あせていない。パールハイムに在職21年の吉福由美子さん(55歳)は、施設に入所した後で同僚と結婚、新しい人生を切り開いた一人。パートナーの障害が重度化し、介護施設に入所した現在でも彼女はフルタイムで働き、休みの日は夫の世話と、獅子奮迅の毎日だ。

「現在、真珠を磨く仕事をしています。真珠の磨き過ぎや、傷がついてないかどうかをチェックするのに非常に気を使います。細かい仕事なので最近は目が悪くなってきて、眼鏡をかけないとよく見えなくなってしまったのがつらいですね」と笑う。

車いすに乗った小さな体でパールハイムのアイドル的存在として活躍しているのは、山田真理子さん(24歳)だ。先天性骨形成不全水頭症という難病を抱えるため、数年に一度頭にたまった水を取り除く手術をしなくてはならない。養護学校卒業後、パールハイムに入所が決まった後で運悪くこの症状が再発し、二年間の入院生活を余儀なくされた。この時の経験があるから、いまこうして元気に仕事ができることが楽しくて仕方ないのだと言う。

「将来の夢は、いつか一人暮らしをすることですね。ずっと寮の団体生活ですから、独立生活に憧れているんですよ。でもそのためには、もっと自立できるようにいろいろ工夫をしなくちゃいけません。私は背が小さいから、電気のスイッチも一人ではつけられませんし(笑)。料理もできるようにならないと、生活できませんからね」そう語る彼女の目は、希望に満ちている。

彼らの夢を実現するためにも、パールハイムの指導員たちは頑張らなければならない。幸い、明るく元気な若いスタッフたちが多く、団結心が強いのが救いである。企業的な手法で施設事業の立て直しを根本から図っている田﨑施設長の手腕が発揮されるのは、まさにこれからのことなのであろう。

(写真・文/戸原一男)

Website URL

社会福祉法人大村パールハイム(長崎県大村市)
http://pearlheim.com

*この記事にある事業所名、役職・氏名等の内容は、公開当時()のものです。予めご了承ください。